恋愛感情は、好きになろうと思って好きになるものではない。
私は今回の出来事を通して、そのことを痛感した。
好きという感情は、気付いた時にはすでに心の中に芽生えているものであり、自分の意思だけで自由に作り出せるものではないのだと思う。
これまで私が好きになった女性を思い返してみると、そのきっかけはさまざまだった。
笑顔が可愛かった。
顔がタイプだった。
会話をしていて楽しかった。
一緒に遊んでいる時間が心地良かった。
そんな小さな積み重ねの中で、気付けば「もっと一緒にいたい」と思うようになっていた。
一目惚れのように、一瞬で惹かれたこともある。
逆に、何度も会話を重ねるうちに、その人の人柄に少しずつ惹かれていったこともある。
恋愛感情は、私が「好きになろう」と決めて生まれたものではなかった。
いつの間にか心の中に住み着いていたものだった。
私は過去に、オンラインゲームで知り合った四人の人妻と、不倫関係になったことがある。
写真を交換し、実際に会って、デートを重ねた。
四人とも、美人というわけではなかった。
しかし、清潔感があり、女性らしさを感じる身なりをしていた。
四人のうち一人は、私の好みとは少し違う、ぽっちゃりした体型の女性だった。
それでも私は、その女性に一番夢中になった。
デートをしている時間も楽しかったし、一緒に過ごす時間そのものが幸せだった。
私にとって、一番可愛く見えた女性だった。
その経験があったからこそ、私はずっと思い込んでいた。
「自分を好きになってくれる女性なら、自分も好きになれる。」
そう信じていた。
私は好きになろうとしていた
先日、PCMAXがきっかけで五十代のシングルマザーと出会う機会があった。
メッセージのやり取りは、とても楽しかった。
会話のテンポも合っていたし、「この人と一度会ってみたい」と思えるくらいには好印象だった。
もちろん、その時点で恋愛感情があったわけではない。
ただ、実際に会ってみたいと思えるだけの十分な理由はあった。
そして待ち合わせ当日。
私は彼女の姿を見た瞬間、「帰ろうかな」と思ってしまった。
大変失礼な話ではある。
しかし、それが私の正直な第一印象だった。
彼女は私の好みのタイプではなかった。
それでも私は、そこで帰るという選択はしなかった。
なぜなら、過去に私が一番好きになった女性も、最初は決して好みのタイプではなかったからだ。
もしかすると、この人も一緒に時間を過ごすことで好きになれるかもしれない。
身体の関係を持てば、恋愛感情も後からついてくるかもしれない。
私は、その可能性に賭けることにした。
今思えば、その時の私は、自分の気持ちよりも、自分の思い込みを信じようとしていたのだと思う。
その日のうちに、私たちはホテルへ向かった。
身体の相性は良かった。
今までの人生を振り返っても、一番気持ちの良い時間だったと思う。
だから私は、こう考えた。
身体の相性は問題ない。
あとは私が彼女を好きになればいい。
そうすれば、待ち合わせで感じた「帰ろうかな」という気持ちも、そのうち消えていくはずだ、と。
「好き」は努力では生まれなかった
ホテルを出た後、私たちは約束していた洋食屋へ向かった。
その道中、彼女と手をつないだ。
私は心のどこかで思っていた。
手をつなげば、恋人らしい時間を過ごせば、少しずつ好きになれるかもしれない、と。
しかし、その期待は歩き始めてすぐに崩れ始めた。
すれ違う人たちの視線が気になった。
本当に見られていたのかは分からない。
それでも私は、「見ないでほしい」と思っていた。
手をつないで歩くということは、「この人が私の恋人です」と周囲に伝えているように感じられた。
そのことが苦しかった。
洋食屋で食事をしている時も同じだった。
私は周囲の視線ばかり気にしていた。
隣の席に座っていた若い男性を見て、「私たちを見て何か思っているのではないか」と勝手に想像してしまう。
もちろん、本当にそう思っていたかどうかは分からない。
それでも、その時の私は、自分が彼女と一緒にいる姿を見られることが、とてもつらかった。
一方で、彼女と目が合えば笑顔を返していた。
彼女を傷付けたくなかったからだ。
しかし今振り返ると、あの笑顔は恋愛感情から生まれたものではなかった。
私は、「こういう場面では笑顔で接するべきだ」という、自分の理想を守ろうとしていただけだったのだと思う。
私は彼女を好きになろうとしていた。
けれど、その努力は、私の心を動かすことはなかった。
私たちは恋愛を理屈で考えすぎている
今回の出来事を振り返っていて、一つ思ったことがある。
私たちは恋愛を理屈で考えすぎているのかもしれない。
もちろん、結婚を考えるなら条件は大切だ。
年収や仕事、住む場所や価値観。
一緒に生活していく以上、それらを考えるのは当然のことだと思う。
私自身も、マッチングアプリを使っていた時はその現実を痛感した。
年収がない今の自分では、相手の人生を背負う覚悟を持てなかった。
だから活動をやめた。
恋愛には感情だけでは乗り越えられない現実がある。
それは間違いない。
でも、だからといって、恋愛感情まで理屈で作れるわけではない。
私は今回、それを身をもって知った。
「一緒に時間を過ごせば好きになるかもしれない。」
「身体の相性が良ければ好きになれるかもしれない。」
私はそう考えた。
好きになろうと努力した。
しかし、その努力では恋愛感情は生まれなかった。
条件を満たしているから好きになる。
相手が自分を好きだから好きになる。
身体の相性が良いから好きになる。
そういうものではなかった。
恋愛感情は、条件を積み重ねた先にあるものではなく、気付けば心の中に芽生えているものだった。
そう考えると、恋愛は不思議だ。
理屈では説明できない。
どれだけ条件が揃っていても好きになれないことがある。
逆に、理屈では説明できない相手に惹かれてしまうこともある。
私はずっと、「好きになる理由」を探していた。
でも今回、本当に必要だったのは理由ではなかった。
好きという感情そのものは、理由を探す前に、もう心の中に存在しているものだったのだと思う。
私の身体は、私より正直だった
私は、彼女とはセックスだけできればそれでいいと思っていた。
恋人になるつもりはなかった。
手をつないで歩くことも、一緒に食事をすることも苦痛だった。
それでも、身体だけの関係なら続けられると思っていた。
実際、初めて会った時は何度も身体を重ねることができた。
だから私は、この関係なら大丈夫だと思っていた。
しかし、一か月後に再び彼女と会った時、その考えは崩れた。
勃起はする。
愛撫をしている間も問題はない。
ところが、いざ彼女と一つになろうとした瞬間、勃起力が弱まり、挿入することができなくなった。
何度試しても同じだった。
人生で初めて経験する出来事だった。
その時、私は大きなショックを受けた。
「男として終わってしまったのではないか。」
そんな不安が頭をよぎった。
年齢のせいなのかもしれない。
体調の問題だったのかもしれない。
本当の理由は、今でも分からない。
ただ、一つだけ言えることがある。
私は彼女を恋人として好きではなかった。
それでも、彼女との時間を雑なものにはしたくなかった。
むしろ、どうせ身体を重ねるのなら、彼女にとっても幸せな時間にしたいと思っていた。
私は私なりに、彼女にとって最高のセックスをしたいと考えていたのだと思う。
だから二回目に会った時は、一回目よりも時間をかけて愛撫をした。
そして何度も、
「痛くない? 大丈夫? 痛かったら我慢せずに言ってね。」
そう声をかけた。
彼女はそのたびに、
「気持ちいい。」
「痛くない。」
「大丈夫。」
そう答えてくれていた。
それでも後になって考えた。
本当は痛かったのではないだろうか。
私に気を遣って、我慢していただけではなかったのだろうか。
もしそうだったとしたら、私が挿入できなかった原因は、私自身ではなく、彼女が無意識に身体を強張らせてしまったことにあったのかもしれない。
もちろん、これも私の推測でしかない。
本当の理由は彼女にしか分からないし、もしかすると彼女自身にも分からないことなのかもしれない。
しかし、それでも頭から離れないことがある。
私は頭では、「セックスだけできればいい」と考えていた。
けれど実際には、彼女と手をつないで歩くことを苦痛に感じていた。
飲食店で一緒に食事をすることも、人目に触れることも嫌だった。
彼女が恋人関係を望んでいることにも応えられなかった。
そんな気持ちを抱えたまま、「身体だけの関係なら続けられる」と思っていたのは、私の頭だけだったのかもしれない。
私の身体は、それとは違う反応を示した。
もちろん、彼女との性行為を身体が拒絶したと断言するつもりはない。
医学的な理由があったのかもしれないし、年齢による変化だったのかもしれない。
本当の理由は、今でも分からない。
ただ、一つだけ確かに感じたことがある。
頭では「大丈夫だ」と自分に言い聞かせていた私よりも、身体の方が正直だったのではないかということだ。
私は恋愛感情を努力で作ろうとしていた。
「好きになれば、この違和感も消える。」
そう信じていた。
しかし、心は動かなかった。
そして身体もまた、その気持ちをごまかすことはできなかった。
恋愛感情は、努力して作るものではない。
今回の出来事は、そのことを私に教えてくれたのだと思う。
無理に好きになろうとすると誰かを傷つける
私は理想の自分でありたかった。
目が合えば微笑みかける。
歩く時は手をつなぐ。
相手を不安にさせないように気遣う。
そんな男性でありたいと思っていた。
だから私は、彼女に笑顔を向けた。
手もつないだ。
一緒に食事をした。
彼女にとって最高の時間になるよう、自分なりに精一杯向き合った。
でも、その振る舞いとは裏腹に、私の心はずっと抵抗し続けていた。
手をつないで歩けば、
「手を離したい。」
と思っていた。
飲食店に入れば、
「こちらを見ないでほしい。」
と思っていた。
店員が彼女の方へ視線を向けるたびに、
「この人は、私たちをどう見ているんだろう。」
と勝手に不安になっていた。
私は彼女と初めて顔を合わせた時、「帰ろうかな」と思った。
今振り返ると、あの時の感情こそが私の本音だったのだと思う。
それなのに私は、その気持ちを見ないふりをした。
セックスができれば好きになれるかもしれない。
身体を重ねれば恋愛感情も後からついてくるかもしれない。
私はそう信じたかった。
そして彼女と身体を重ねた。
初めて会った日のセックスは、私にとって忘れられないほど幸せな時間だった。
だから私は期待してしまった。
「これで好きになれるかもしれない。」
と。
しかし、その期待は現実にはならなかった。
一か月後、彼女は私に、
「付き合って。」
と言った。
私は、
「付き合おうか。」
と答えた。
でも、その言葉を口にした瞬間も、心のどこかでは、
「本当にそれでいいのか。」
という声が聞こえていた。
その日の夜、私は彼女に挿入することができなかった。
何度試しても同じだった。
私は、自分の身体に何が起きているのか分からなかった。
男として終わってしまったのではないか。
あるいは、私自身が気付いていない心の迷いが身体に表れただけなのか。
答えは今でも分からない。
ただ、その出来事を境に、私はようやく認めるしかなくなった。
私は彼女を好きになれなかったのだと。
その後、私は彼女にLINEで、
「付き合うことはできません。ごめんなさい。」
と伝えた。
そして、LINEも電話番号もブロックした。
あれが正しい別れ方だったとは思っていない。
もっと誠実な伝え方があったのかもしれない。
もっと彼女を傷つけない方法があったのかもしれない。
今でもそう思う。
そして、もう一つ思うことがある。
もし、待ち合わせ場所で彼女を見た瞬間、
「ごめんなさい。」
と言って帰っていたらどうだっただろう。
彼女はその場では傷ついたと思う。
でも、恋人になれるかもしれないという期待を抱かせることはなかった。
身体を重ねることもなかった。
二回目に会うこともなかった。
あそこまで深く傷つけることもなかったのかもしれない。
もちろん、これは今だから言えることだ。
あの日の私は、本当に好きになれると思っていた。
だからこそ、ここまで遠回りをしてしまった。
私は今回の出来事で、一つ学んだ。
自分の本心を無視した優しさは、本当の優しさにはならない。
無理に好きになろうとすれば、いつか無理が表に出る。
そして、その無理は、自分だけではなく、相手も傷つけてしまう。
恋愛感情は努力では作れない。
だからこそ、自分の心に正直でいることもまた、相手への誠実さなのだと思う。
恋愛は始めるものではなく、始まるものなのかもしれない
私は過去に、オンラインゲームで仲良くなった四人の人妻と、実際に会って不倫関係になったことがある。
今振り返ると、その四人との恋愛には一つの共通点があった。
最初から恋愛をしようと思っていたわけではなかったことだ。
ゲームで一緒に遊び、他愛もない話をし、笑い合う。
そんな時間を何度も重ねるうちに、少しずつ相手のことが気になり始めた。
「この人に会ってみたい。」
そんな気持ちが自然と芽生えた。
そして、ゲームの世界ではなく現実の世界で会い、恋愛感情はさらに深まり、身体の関係を持つようになった。
恋愛は、「始めよう」と決めて始まったものではなかった。
気付いた時には、もう始まっていたのだ。
一方で、PCMAXで出会った彼女とは違っていた。
メッセージのやり取りは楽しかった。
だから会ってみたいと思った。
しかし、実際に会った瞬間、私は「帰ろうかな」と思ってしまった。
その時点で、私の心はもう答えを出していたのだと思う。
それでも私は、その気持ちを認めなかった。
身体を重ねれば好きになれるかもしれない。
一緒に時間を過ごせば恋愛感情も生まれるかもしれない。
そう信じて、恋愛を始めようとした。
でも、始まらなかった。
恋愛感情は、私の努力では生まれなかった。
もちろん、人を好きになるきっかけは人それぞれだと思う。
一目惚れする人もいる。
長い時間をかけて惹かれていく人もいる。
私が過去に一番夢中になった女性も、最初から私の好みのタイプだったわけではない。
だから私は、「好き」という感情には決まった形はないのだと思う。
ただ、一つだけ今回の経験で分かったことがある。
それは、「好きになろう」と努力して生まれる恋愛は、少なくとも私にはできなかったということだ。
恋愛は、条件を満たしたから始まるものでもなかった。
身体を重ねたから始まるものでもなかった。
相手が自分を好きになってくれたから始まるものでもなかった。
私にとって恋愛とは、一緒に過ごす時間の中で少しずつ相手に惹かれ、気付けば「もっと一緒にいたい」と思うようになるものだった。
だから私は、これからは誰かを無理に好きになろうとは思わない。
「好きにならなければ。」
そう自分に言い聞かせることもしない。
もし、また誰かを好きになる日が来るのなら。
それは努力して始める恋愛ではなく、気付けば心がその人に向かっていた、そんな恋愛であってほしいと思う。
今回の出来事は、私に一つのことを教えてくれた。
恋愛は始めるものではなく、始まるものなのかもしれない。
人と出会うことでしか知ることのできない自分がいる
今回の経験は、私にとって苦いものだった。
男としての自信を失いそうになった。
相手を傷つけたかもしれないという後悔も残った。
そして、自分自身の本心と向き合うことにもなった。
それでも私は、この出会いを後悔してはいない。
もし彼女と出会っていなければ、私は今でも「自分を好きになってくれる女性なら、自分も好きになれる」と思い込んだままだっただろう。
恋愛感情は努力で作れるものだと信じたまま、生きていたかもしれない。
今回の出来事は、その思い込みを静かに壊してくれた。
私は、自分が思っていた以上に、女性の外見や清潔感を大切にする人間だった。
そして、自分の心に嘘をついたまま恋愛はできない人間でもあった。
それは決して気持ちの良い発見ではなかった。
けれど、自分という人間を知ることができたという意味では、とても大きな経験だったと思う。
恋愛感情は努力では作れない。
だからこそ、自分の心をごまかさず、相手にも正直でいることが、お互いを傷つけないために大切なのだと思う。
そして私は、もう一つのことにも気付いた。
恋愛感情は努力では作れない。
でも、人と出会わなければ、そのことにも気付けなかった。
人との出会いは、ときに私たちを傷つける。
思い通りにならないこともある。
それでも、人と関わるからこそ、自分でも知らなかった自分に出会えることがある。
今回の経験は、まさにその一つだった。
もしあなたが新しい出会いを探しているのなら、その出会いは恋人を見つけるためだけではなく、自分自身を知るきっかけになるのかもしれない。
少なくとも、私にとってはそうだった。
画面の向こうで人との出会いを想像しているだけでは、生身の女性の温もりも、自分でも気付いていなかった感情も知ることはできなかった。
人と出会うことは、ときに傷つくことでもある。
それでも、その経験は、自分という人間を深く知るきっかけになるのだと思う。
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